中曽根康弘元首相の今までの軌跡まとめ!日本航空の真相は?息子の中曽根弘文の功績も!

中曽根康弘元首相は、大正7年5月27日、群馬県高崎市生まれ。

昭和16年に東京帝大卒業し内務省に入り、戦時中は海軍に勤めたそうです。

昭和22年1月に内務省を退職し3カ月後の衆院選に初当選。連続20期56年間、衆院議員を務めた経歴を持っています。

 

中曽根康弘元首相の功績

憲法改正を生涯のテーマに掲げ、現行憲法を批判する「憲法改正の歌」を作詞したり、首相公選制の導入を訴えたりした。原子力の平和利用の推進にも尽力し、原子力基本法制定の先頭に立った。

外交では、鈴木内閣末期に関係が悪化していた韓国と米国を就任直後に相次ぎ訪問し、修復に努めた。特に米国とはロナルド・レーガン大統領(当時)と「ロン・ヤス関係」を構築し、自由主義陣営の一員として日米同盟と反ソ連体制を強化させた。

内政では行政改革を中心とする「戦後政治の総決算」を掲げ、電電公社、専売公社、国鉄の「3公社」の民営化を推進した。在任中にNTTとJTを発足させ、国鉄分割民営化法を成立させた。
引用元:産経新聞

 

日本航空の真相は?

1985年に起きた、群馬県の御巣鷹山日本航空123便事故については、中曽根康弘元首相が「真実は墓場まで持って行く」と意味深な発言から、話題なりました。

なお、真相は語られておりません。

 

息子の中曽根弘文について

中曽根 弘文(なかそね ひろふみ、1945年(昭和20年)11月28日 – )は、日本の政治家。

自由民主党所属の参議院議員(6期)、参議院情報監視審査会会長。父は元内閣総理大臣の中曽根康弘。第48回衆議院議員総選挙で初当選した中曽根康隆は長男。 外務大臣(第142代)、文部大臣(第126・127代)、科学技術庁長官(第59・60代)、内閣総理大臣補佐官(教育改革担当)、自民党参議院議員会長(第27代)などを歴任している。
引用元:wikipedia

 

中曽根康弘氏の孫は中曽根康隆氏

東京都出身。慶應義塾幼稚舎から進学し、慶應義塾大学法学部卒業。コロンビア大学国際公共政策大学院修了、国際関係学修士号を取得。

JPモルガン証券勤務を経て、2013年(平成25年)から参議院議員の父、中曽根弘文の事務所で私設秘書として働く。 2017年(平成29年)8月末に秘書を辞職。

9月21日に群馬県庁で記者会見し、同年10月に予定される第48回衆議院議員総選挙で群馬1区に出馬の意志を示した。会見翌日の9月22日には自由民主党前橋支部に公認申請書を提出していたが、同選挙区で同党の公認推薦が内定していた尾身朝子との調整に合意し、最終的に比例北関東ブロックの単独30位で出馬、同選挙で初当選した。

当選後、同党の二階俊博が率いる自民党の派閥、志帥会に入会した。
引用元:wikipedia